人生という地獄

僕の人生 少し見てみて

疲れてしまった人生

初めまして、こんにちは。

はてなブログでブログを書くのは初めてになります。

これまでもブログを書いたことがあるのですが、なかなか続かなくて途中でやめてしまいました。

今回どうしてまたブログを書こうと思ったのか?それは、最近【人生】に疲れてしまってできれば死のうと思っているのですが、楽に死ねる方法がなくて我慢しながら毎日を生きています。そんな中で今生きている事を少しでも誰かに話せたらいいなと思い、今回ブログを改めて書くことにしました。

私が書くことは一般の方、普通の人には理解できず批判や怒るかもしれないのでブログ閲覧は控えた方がよろしいかと思います。それでも大丈夫な方は最後まで読んで頂けたら嬉しく思います。

 

それではまず、何故人生に疲れてしまい死のうと思ったのか?最近の若者は簡単に【死にたい】という言葉を使いますが私はそんな簡単な事ではありませんし、ふざけている訳ではありません。真剣にそう思っています、まずそこはご理解下さい。

 

最近の出来事から書きますが、ある日突然仕事に行けなくなってしまいました。

仕事の時間にちゃんと起きて支度をして、よし仕事行こうと思った時に玄関で急に動けなくなってしまいました。玄関のドアを開けることができず、頭では仕事に行かなきゃ!と分かってはいるのですが体は動いてくれませんでした。そのまま動けず時間はどんどん過ぎていきました、遅刻時間になってしまっているのでその日は仕事を休みました。なんて説明したらいいか分からないですが、本当に体が動いてくれませんでした。初めての現象に自分でもビックリしました。

その日から仕事になかなか行けない状態が 続き結局はその仕事をやめてしまいました。仕事を休んだ期間は1カ月です、毎朝仕事に行かないとと思ってもうまく体が動かず、不安や恐怖が襲ってきました。

何故そのような事になってしまったかは自分でもよく分からず、仕事内容も嫌ではないし職場の人間関係も苦手な人はいましたが我慢できる範囲でした。

主な仕事内容は接客業なのでお客様と接する機会が多く大変でした、特に祝日はお客様が多くなるので忙しさはありましたね。

 

仕事を休んでいた期間に精神科の病院を探して自分はどういう症状なのか診察してもらいました。医者には【重いうつ病と言われ、今の病院だと色々な症状が重なってて検査しきれないから大きな病院に行って下さいと言われました。

その時自分はうつ病になってしまって自分の情けなさと少し安心を感じました、何故なら自分は仕事を休んでいいんだという気持ちと、こんな事で自分は心の病気にかかるのか?という気持ちが出てきました。

大きな病院にかかるまで今の病院で精神安定剤の薬をもらいながら今は生活しています。しかし薬も個人的に飲みたくなくて、理由は自分の父親うつ病にかかった事があり薬の副作用?などで手など震えていて喋るのもちょっとおかしくなっていたからです。そんな父親の姿を見ているので自分はあのようになりたくないと思っています。

 

病院から薬をもらいながら仕事を休んでいましたが、自分は一人暮らしなので生活費がないと生活できなくなってしまいます。その要素が一つの不安となり、どんどん不安が強くなり落ち着かなくなったり、自分を傷つけて落ち着かせようとします。

自分を傷つけるのは根性焼きをしていて、リストカットをしてみたんですが自分には合わず根性焼きの方がじっくり痛みを感じられて心を落ち着かせる事ができたので自分には根性焼きが合いました。( 血を見るのが少し苦手というのもありました(笑) )

 

【閲覧注意】

根性焼きをした腕は数が増えていくので痛みはありましたね、しかしその痛みが心を落ち着かせてくれました。いわゆる心の痛みを実際の痛みに変えて紛らわせるという感じです。

f:id:SamuiHito:20161205155047j:plain

日に日に根性焼きが増えていきました、なんというか根性焼きをしてこの傷を増やすことによって周りに助けを求めているっていうのもありますね。

f:id:SamuiHito:20161205155729j:plain

でも周りに見せたとしても助けてくれる人なんていないんですけどね。

 

何故親に頼らないのか?と思う方がいると思います。

親に頼ることは色々な理由があってできないんです、まず親に助けを求められるなら一人暮らしはしていません。

 

少し自分の昔話をします。

私は小さな頃から両親から虐待を受けていました、叩くなんて当たり前で殴る、蹴る、持ち上げられ投げられる、物で叩かれる、物を投げられる等々。

どこかのドラマかよ!と思う方もいると思いますが実際に自分が経験した出来事です。

自分には妹がいるのですが妹も虐待を受けていました、暴力を受けている所を自分は怯えてただ見ている事しかできませんでした。

救いなのが妹は遅く生まれたので自分よりは虐待は少なかった事です。

 

そんな環境の中で自分は育ちました、自分がよく覚えているのは母親に灰皿で殴られた事ですね、たしかまだ幼稚園児だったような感じがします。

今話すと母親は笑い話で話しますが、自分はあまり笑えません。下手したら死んでましたからね。

あとは自分の両親はよくケンカをしてました、口喧嘩では終わらず殴り合いとか凶器で喧嘩とか色々、自分の目の前(子どもの目の前)で喧嘩していたのでよく覚えています。自分が寝ている寝室にまで来て、自分は二段ベッドの下に寝ていてその上で喧嘩している事もありましたね(笑)妹が生まれた時も自分たちの目の前で両親が喧嘩していました。

その頃の自分は幼稚園児、小学校低学年とかだったのでただ怯える事しかできませんでした。祖母の話によると自分が生まれた時から両親は喧嘩をしていて、その間に自分がいて毎回泣いていたみたいです。そして父親は暴力を振るうので母親が自分をかばって守ってくれていたそうです。今で言うDVですね、喧嘩のたびに母親は怪我とあざだらけだったそうです。そしてかばい切れずまだ赤ちゃんだった自分にも危害を加えられたらしいです。(歯が折れたらしいです)とにかく両親の喧嘩が多かったです。

 

そんな環境なので自分はよく怯えて生活していましたね、食事もうまく食べれず勉強も自分の部屋がなかったので、両親が気になってなかなか勉強できませんでした。

運動会などの行事も母親はたまに来てくれましたが父親はあまり来てくれませんでしたね。周りの友達たちは両親は来ているのに自分は来てくれなくてよく寂しい思いをした記憶があります。用事で来れないとかならいいんですけど、用事も何もなく家に帰ったらいるのでよく『運動会ぐらい来てよ』と思った事があります。怖いから言えませんでしたけどね。

友達関係もうまく作れずよくいじめられてました、親の都合で転校を2回した事で仲良くなった友達もいなくなってしまいましたね。

1回目は父親の仕事の都合で2回目は両親の離婚です。

中学1年生の時にいきなり親から離婚するからと言われて母親か父親のどっちと一緒に住むか聞かれました、いきなりすぎて少し悩みましたが父親からの暴力が多かったので母親と一緒に住むことにしました。1回目の転勤後父親うつ病にかかってしまいずっと家にひきこもっていたので、母親ももう限界だったのでしょうね。

 

母親と妹と自分、三人で暮らすことになって暴力などの不安や恐怖心がなくなると思っていましたが、まだまだ大変な事が色々あって母親はとにかく人の話を聞かずに自分の意見だけ正しいと思っているバカなので、自分の事をなかなか理解してくれずよく口喧嘩をしました。まぁよく母親と喧嘩したのは離婚する前からですが・・・。

小学生の時は母親からも虐待を受けてましたが、それよりも自分の事を全然理解してくれなかったのでそれによく腹が立っていました。

高校生の時もよく理解の件で母親と喧嘩して家出をよくしてました、だいたい1カ月くらい友達の家にいました。母親からの心配の電話もなかったので自分の息子の事はどうでもいいんだなと感じました。あとは自分はそばアレルギーなんですが母親はその事を忘れていてそばを使った料理を出してきた時は腹が立ちました。気づいたのが食べた後で自分がそばアレルギーという事を忘れていたのは仕方ないですが、その件について謝罪も何もないのでその事に腹が立ち喧嘩になってしましました。

 

そんな中、高校を卒業して自分が大阪に引っ越しししたのですが大阪でうまくいかず地元に帰ろうと思い母親に電話したのですが、母親は引っ越しをしていて自分だけ部屋がない(妹は部屋がある)物件に住んでいたので住む場所がなく困ったことを伝えても、『いいから早く働いて、その働き先で暮らしな』や『知り合いに仕事紹介してくれて住む場所も提供してくれるから』など適当な事を言われて自分はどうでもいい邪魔者なんだなと実感しました。

自分の息子を助けず他人に任せてほっておくって本当に酷く怒りを感じましたし、全然納得できませんでした。

結局地元に帰ってきて今でも交流のある友人宅に1年居候して自分で部屋を見つけて現在に至ります。

とにかくこれまでの自分の人生はハードモードすぎて疲れてしまいました、まだ私は22歳ですけど。当時の小さい頃の自分は自分の家はこうなんだ、虐待もしつけなんだと思っていましたが今では虐待、DVなど表に出てきてみんなが分かる範囲になってきました。自分はどうしてちゃんとした家族の元に生まれてこなかったのか?家族で楽しく食事なんてした事がありません、周りの家族を見ると幸せそうで本当にうらやましく思います。

 

そんな理由で両親に頼ることができませんし頼りたくありません。

そして父親は音信不通で今どこにいるのか?生きているのかも分からない状況です。

一人暮らしなので全部一人でやらないといけないので大変ですし、やっぱりどこか寂しい部分があります。周りの今の若者は家族の家で幸せそうに暮らしているのに、自分は家族に見捨てられたようなもので、友達も少なくて一人暮らしでひそひそと生きている。しかもうつ病にかかり仕事には行けず、不安と恐怖心しかない状況で明るい未来なんてありませんし、自分が生きようと思う気力もありません。将来の夢も目標もないので生きてる意味がないです。

よく思います、目の前に歩いている人たちはどうして生きているのか?何のために生きているのか?なんでそんなに頑張って生きれるのか?この先、生きていても苦労や苦痛に耐えながら仕事を高齢者になるまで強制的に働いて仕事から解放されてもその頃には体を痛めている老人になっている。そんなよぼよぼになっている老人が気楽に遊べるわけがない。

この世界は選ばれた、恵まれた人しか生きられない世界だと私は思います。

選ばれなかった人間は苦労しか味わえることしかできません。

そんな世界で生きていても仕方ないと私は思っています。

【あくまで個人的な意見です!】

このような事を当時働いていた居酒屋の社長に言ったらすごく怒られました。

『なにも世の中分からないガキがほざいてんじゃねぇ!!』って怒られましたが個人的な意見なのに『それは違う』だのなんだのって意味が分からない。

正直、人の考えた意見を正すような人間は間違っていると思います

その発言はその人が考えて発言した事なのでそれは貴方の個人的な意見として受け取ればいい話です。自分の意見と違うからと言ってその人の発言を間違えだなんて言う資格はありません。

『君はそういう意見なんだね、でも私はこういう意見なんだ』とコミュニケーションをとればいいと個人的に思っています。会話はキャッチボールなのでね、まぁ難しいですけど・・・。

 

この記事を見て『君は甘い』とか『間違ってる』って思う方はいるかもしれませんが、私はこういう意見なので。

 

さて話が長くなってしまいましたが今の状況を簡単に言うと【生きる理由を見失っています】

今は色々辛い時期です、生きているのが疲れてしまっています。これから先の事は考えてくないですが考えないといけません。これから自分がどうなるのかも分かりません、ただ明るい未来は待ってはいないでしょう。そんな心境の中で今回ブログを書かせて頂きました。このブログを見て頂いた方は色々な意見が出てくるでしょう、誹謗中傷は嫌なので控えてほしいですが、こんな人間もいるんだなと感じてくれればいいと思っています。

 

長くなりましたが最後まで閲覧して頂きありがとうございます。

また機会があればブログを更新したいと思っています、それでは・・・。